今日の桜井くんは、営業マンではなくただの入居者として困っています。住んでいるのはサブリースのマンション。ある日ポストに、裁判所からの封筒が入っていました。――「家賃を、管理会社に払ってはいけない」。今日の題材は 平成24年・問7、そして 最決平成12年4月14日。宅建の権利関係でも指折りの難所です。
「先輩……ちょっと、個人的な相談してもいいですか」
桜井くんの顔色が悪い。手には、開封済みの封筒がある。
「うちのマンション、サブリースなんです。オーナーさんがいて、そこから管理会社が一棟まるごと借りてて、僕はその管理会社と賃貸借契約を結んで住んでる。家賃も毎月そこに払ってます」
「よくある形だな。それで?」
「昨日、裁判所から書類が届いて。『管理会社に家賃を払うな、こちらに払え』って……。差出人は、オーナーさんにお金を貸してる銀行みたいで」
「ほう」久保田さんはコーヒーを置いた。「抵当権者が、物上代位を仕掛けてきたな」
「ぶつじょうだいい……。聞いたことはあるんですけど、正直あやふやで。それより先輩、僕、どっちに払えばいいんですか。管理会社は『いつもどおり払ってください』って言うし、こっちは裁判所だし。両方に払わされたりしませんよね?」
「落ち着け。まず、順番に整理する。今日の話は宅建でも難しいところだ。でも、一本の筋が通っている」
「物上代位というのはな。抵当権は、その建物や土地そのものだけじゃなく、それが“お金に化けたもの”にも効く、という仕組みだ(民法372条・304条)」
「お金に化けたもの……?」
「たとえば建物が火事で焼けたら、火災保険金の請求権。建物を貸していたら、その賃料。抵当に入っていた建物が姿を変えて生んだお金だから、抵当権者はそこに手を伸ばせる。ただし払われてしまう前に差し押さえる必要がある」
「じゃあ、やっぱり僕の家賃も……」
「そこだ。ここからが今日の急所だぞ」久保田さんはホワイトボードに三段の図を描いた。
「登場人物は3人。オーナーのAさん。一棟借りしている管理会社のB社。そして入居者のお前、Cだ」
「はい」
「銀行が抵当権を持っているのは、Aさんの建物だ。そしてAさんは、B社に建物を貸して賃料をもらっている。このA→Bの賃料債権には、銀行は物上代位できる」
「Aさんの家賃収入は、押さえられちゃうと」
「そうだ。Aさんの建物が生んだお金だからな。では、お前がB社に払っている家賃はどうだ?」
「……それも、もとをたどれば同じ建物から生まれたお金ですよね。だったら押さえられるんじゃ……」
「できない」久保田さんはきっぱり言った。「これが最決平成12年4月14日。抵当権者は、原則として、賃借人が取得する転貸賃料債権に物上代位することはできない」
「……え。できないんですか」桜井くんの肩から力が抜けた。
「なぜだと思う。ここを理解すれば、もう一生忘れない」
「うーん……。同じ建物から生まれたお金なのに、何が違うんだろう」
「“誰の借金のために、誰が責任を負っているか”だ」久保田さんはペンで図を指した。「Aさんは、銀行への借金について、この建物で責任を負っている。返せなければ建物を取られる立場だ。これを物的責任という」
「はい」
「じゃあB社はどうだ。B社は、Aさんの借金について、何か責任を負っているか?」
「……負ってないです。B社はただ、建物を借りているだけで」
「そのとおりだ。B社はAさんの借金の担保として建物を差し出したわけじゃない。ただの賃借人だ。そしてお前が払う家賃は、B社の債権――B社が自分の力で稼いだ、B社のものだ」
「あ……」
「B社は、自分の債権を、他人であるAさんの借金の返済に差し出さなければならない立場にはない。だから、そこに抵当権者は手を伸ばせない。判例が言っているのは、この一点だ」
「……なるほど。同じ建物から出たお金でも、“誰のポケットに入る債権か”が違うってことですね。Aさんのポケットに入るはずの賃料なら押さえられる。でも、B社のポケットに入る転貸賃料は、B社のもの。Aさんの借金とは関係ない」
「よく言語化した。それが判決理由そのものだ」
「じゃあ僕は、今までどおりB社に払えばいいんですね」桜井くんの顔に血の気が戻った。
「理屈の上では、そうなる。ただし――例外がある」
「例外?」
「判例は『賃借人を所有者と同視することを相当とする場合を除き』と言っている。裏を返せば、B社が“実質はAさんそのもの”と見るべきときは、物上代位できる」
「実質はAさんそのもの……。どういう場合ですか」
「たとえば、抵当権の実行から逃れるために、Aさんが自分で支配する“形だけの会社”をこしらえて、そこに一棟貸ししたように見せかけているケースだ。名前は別会社でも、中身はAさん本人。そういう抜け道を許さないための例外だな」
「うわ、そんな手が……。ちゃんと穴が塞いであるんですね」
「原則は使えない。でも、逃げ道に使おうとしたら通さない。この二段構えで覚えろ」
「先輩、もうひとつだけ。……これ、建物が競売されたら、僕は追い出されるんですか」
「それはまた別の論点だ」久保田さんは苦笑した。「今日は物上代位に集中しろ。頭に一度に詰め込むと、どっちも曖昧になる」
「はい……。じゃあ、この書類は放っておいていいですか」
「いや、それは駄目だ」久保田さんの声が真剣になった。「裁判所から届いた書類を、自己判断で無視するのが一番まずい。今日話したのは宅建試験の“理屈”であって、お前の事件の答えじゃない。個別の事情で結論は変わりうる。弁護士に相談しろ。二重払いのリスクを避ける供託という制度もある。専門家と相談して手を打て」
「……はい。相談してきます」
「それでいい。知識は、慌てないために使うものだ。何が争点かが分かっていれば、専門家の話も正しく聞ける。今日のお前は、もう“何も分からずに怯えている入居者”じゃない」
│ 賃貸(原賃貸借) → A→Bの賃料債権に 物上代位 ○
サブリース会社B(賃借人 兼 転貸人)
│ 転貸 → B→Cの転貸賃料債権に 物上代位 ✕(原則)
入居者C(転借人=桜井くん)
理由:Aは抵当不動産で物的責任を負う。Bは負っていない。
Bは自分の債権を、他人の借金の弁済に差し出す立場にない。
例外:賃借人Bを所有者と同視することを相当とする場合
桜井くんは、封筒を置いて手帳を開いた。
・でも、賃借人が持つ転貸賃料債権(B→C)には、原則できない(最決平12.4.14)。
・理由:賃借人は抵当不動産で物的責任を負う立場ではないから。
・合言葉:「同じ建物のお金でも、誰のポケットの債権かで分かれる」
・例外:賃借人を所有者と同視することを相当とする場合(形だけの会社など)。
・実際に書類が来たら、自己判断しない。専門家に相談する。
この物語の“宅建ポイント”
- 転貸賃料債権と物上代位(最決平成12年4月14日):抵当権者は、抵当不動産の賃借人を所有者と同視することを相当とする場合を除き、その賃借人が取得する転貸賃料債権について物上代位権を行使することができない。
- 理由:所有者は被担保債権の履行について抵当不動産で物的責任を負うのに対し、賃借人はそのような責任を負担せず、自己に属する債権を被担保債権の弁済に供されるべき立場にないため。
- 対比(ここが出る):所有者が取得する賃料債権には物上代位できる。抵当権は、目的物の売却・賃貸・滅失・損傷によって債務者が受けるべき金銭等に及ぶ(民法372条・304条)。ただし払渡し又は引渡しの前に差押えが必要。
- 火災保険金:抵当建物が焼失した場合の損害保険金請求権にも物上代位できる。
- 一般債権者との関係:抵当権設定登記が一般債権者の差押えより先であれば、一般債権者の差押え後でも、抵当権者は自ら賃料債権を差し押さえて物上代位できる。
- 抵当権実行後:抵当不動産について抵当権が実行されても、抵当権が消滅するまでの間に生じた賃料債権には物上代位できる。
- 平成24年・問7は「誤っているもの」を選ぶ問題で、正解は肢1(一般債権者の差押えがあると物上代位できない、とした点が誤り)。転貸賃料の肢は「正しい」肢として出題されました。
この話のもとになった問題平成24年・問7(権利関係/抵当権・物上代位)。「誰のポケットに入る債権か」で分かれる――この一本の筋が、そのまま正解につながります。
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